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御免町鬼剣舞由来・歴史


御免町鬼剣舞は明治25(1892)年頃から和賀群岩崎村の岩崎鬼剣舞より指導を受け、明治30(1897)年に秘伝書を伝授された。この際、御免町鬼剣舞から岩崎鬼剣舞へ提出した誓約書の中で鬼剣舞という名称が初めて用いられ、以後「鬼剣舞」と呼ばれるようになった。
大正2(1913)年に北鬼柳鬼剣舞へ秘伝書を伝授、大正12(1923)年に長沼鬼剣舞を指導するなど、近隣地区へ鬼剣舞の普及を行った。
8代目踊り組の頃(昭和20年代後半から40年代中頃)表立った活動を控えていたが、昭和45(1970)年に岩手国体の開会セレモニーへ参加。これを機に9代目踊り組を結成する。同じ頃、旧江釣子村行政区が改正され別行政区であった御免町、川内家、大坊が江釣子8区とされた事により行政区内の横の繋がりが密になりだし現在に至る。

鬼剣舞は北上市周辺に伝わる、威嚇的な鬼のような面(仏の化身)をつけた勇壮な踊り。「念仏剣舞」が正式な呼称で、「鬼剣舞」は明治後期以降の呼称とみられる。
大宝年間に(701~704)に修験の祖・役小角(えんのおづぬ)が念仏を唱えながら踊ったのが始まりとも、大同年間(806~809)に羽黒山の修験者(=山伏)が、悪霊退散、衆生済度の念仏踊りとして始めたとも伝える。
反閇(ヘンバイ:修験者が悪鬼を踏み鎮める動作)によって鎮魂・悪霊払いをする呪術的要素と、念仏によって人々を救う浄土信仰的要素が見られる。
各地区で保存会が組織され、伝承活動がおこなわれている。
踊りは8人が基本。一人が白面、他は青・赤・黒の面をつける。この4色は四季・方位を表すとともに悪魔を降伏させ、人々を救済する「明王」を表す。
通常の公演では行われないが、正式の供養式では、丸柱に四色の布を巻き、縄や棒を渡して四門を設ける。